遅ればせながらの実家の墓参り
なんでも今日は午前10時頃に35°のラインを超えたらしい。この夏で最も暑い日
だったのかも知れない。歯医者の予約をしていたので、感嘆に診てもらい、その後
兄貴と約束をしていた親父の墓のお詣りである。墓石がさわれないほど暑くなって
いてる。周囲のお墓も、このお盆の間に花が活けられているのだが、どこも水はとう
に蒸発してしまってドライフラワーになりつつあるようだ。
親父の墓のお詣りはキリスト教式なので、兄貴に任せ同じ霊園にある親戚の墓参り
は禅宗で般若心経を唱えることになっているので、この10年来その読経は自分の
役割となっている。唱えながら意味もわかり、浪々と詰まらないで詠めればいいのだが、
なかなかそうはいかない。色即是空、空即是色くらいしかわかっていない自分が恥ずか
しい。
すっかり日課となった病院通いは、少し日照が和らいだ夕刻に行って、夕食時の介助
を兼ねるのがこのところの日課となっている。今日も夕焼け空だったので、まず屋上に
上がりCX3ショットを撮るところから始まる。
音階のみに意味があります。
正しく読経することにより、その波長で脳が変性状態になり、瞑想時のトランス状態になるのですね。
ヘミシンクの技術と同じです。
ただ、読経は一人では意味がありません。二人以上ではもらないと効果を発揮できません。
現代技術の最先端のテクニックを発明した昔の人はすごい。。。
昔、この手の本を読みまくったことがあります。
キリスト教ならヘブライ語。
イスラム教なら文語体のアラビラ語。
仏教であればサンスクリット語から入らないと
発音からの当て字が多い日本の経文の理解は
難しいですねぇ
例えば、「南無阿弥陀仏」というのはインドの言葉です。
原語をカタカナにすれば「ナーモアーミダーボ」。
ナーモといのは仏に帰依するという事で、日本語に翻訳すると「神は仏様に帰依します」という宣言文です。
阿弥陀仏を、阿弥陀と言う仏と訳していたらちんぷんかんぷんになるでしょう(笑)
「掘った芋弄るな」が「What time is it now?」の発音を日本語に当てたものと同じ、といえばわかるでしょうか。
先生 有難う。
ミッチさん不在のまま、ここで般若心経の勉強会でした。
SHINさんのところでも、農業経営学を垣間見ました。
はるるのブログに、ミステリアスSHIN氏 のことを書きました。
信心の薄い私にはわからないことだらけです。
般若心経の題「摩訶般若波羅蜜多心経」というのはサンスクリット語で、読みをカタカナで書くと、
「マハー パニャー パラー ミター チター スートラ」
です。
般若を鬼の「はんにゃ」と解説している本は無茶苦茶です。
「パニャー」の当て字です。
意味は、「内在された、偉大な智恵に到達する、心の教え」。