いよいよXdayが来る
そろそろ起きようかなと思っていた6時40分頃に病院からの電話を取った家内の声で飛び起きる。義母の様子が悪化し、すぐにきてください、とのこと。身繕いをして、最低限の連絡をしつつ病室に向かうが、7時15分頃に到着したときには、すでに帰らぬ人となっていた。
悲しみも大きいが、最期まで痛がったり、苦しむことなく、本当に安らかな顔で心肺停止に至ったものと思われる。当直の看護士さんの話でも5時頃に見に来たときはいつも通りスヤスヤ寝ていたのが、6時半頃に来たときには呼吸が荒くなり、危ないと思ったそうだ。本人の希望により延命装置の装着はしないことにしていた。結局、その10分後には召されたとのこと。
振り返れば去年の4月に主治医と相談の上、化学療法を止め緩和ケアに切り替えて10ヶ月。その時に主治医から言われた「年単位では考えられないと思ってください」という言葉がそのまま当てはまった形である。それでも4月から12月までは痛みもむかつきもなく元気に過ごせたのは有り難いことである。
一人暮らしから引き取り、、そしてホスピス入院というシナリオは考えていたとおりとなったが、いろんな専門家の助言、助力で極めてスムーズに末期を看取ることができたのはせめてもの慰めである。
吹田市への搬送、葬儀社との打ち合わせ、東京の義弟達も合流しての通夜、告別式の段取り打ち合わせ、義母のマンションの掃除などで、一日があっという間に過ぎる。段取りはできたので、あとはお寺さんと葬儀社にお任せして儀式を迎えるのみである。合掌。
長い間 おつかれさまでした。
奥様も おさみしく不安でいらっしゃることでしょう。
皆様ミッチさんを頼りにしておられるのですね。
どうぞ、 お疲れがでませんように、しばし頑張られてくださいね。
いるようですが、大丈夫そうです。
できたので、ちょっとのんびりやれせてもらうつもりです。