懐かしの阪急電車
昨日に準備を終えた資料を携えて、徒歩にて税務署に向かう。e-taxという制度も整っているので、家のパソコンからやってもいいのだが、やはり不明点が毎年あるので相談しながらやった方が得な気がする。前年度に比べ丁重だった講師仕事の影響もあり、収入も減っているのだが、原価消却対象も減ってきているので、税額が増えるかと思っていたのだが、年末に義母を引き取ったことから不要対象となり、少し楽になった感がある。
この辺りのことは相談してみないとわからないもので、一人でやっていると寄り多くの税申告をしていたと思われる。会場は結構混んでいたが、来週になるともっともっと混むとのことであった。相談から確認、PCインプットまで1時間強かかったが、一発ですんなりといけてやれやれである。
月曜の夜帰宅後、家内を迎えに自宅ガレージからクルマを出そうとすると、フロントガラスのところに立派な本が置かれていた。タイトルは、「阪急電車、僕らの青春」というグラビア写真集。中身は全てモノクロ写真で、物心がついた頃からの阪急電車や沿線風景、駅前風景がてんこ盛りである。
タイトルを観て一番先に探したのは、ダイヤモンドクロスと言われた北口の地上十文字交差。しっかり載ってた。
付箋が挟まれていたのは、夙川駅前の風景。駅構内に踏み切りがあったのはいつ頃までか。小学校高学年くらいのときは地下道が完成していたような記憶がある。塾通いをしていた岡本駅は6年くらいまで踏切だったような記憶がある。
印象的だったのは、95年の阪神淡路大震災で崩れるまでの三宮駅ビル。これぞまさに青春のメモリアル。三宮から緑の市電に乗って和田岬の自動車教習所に通ったのは大学一年の3月だった。ときに1970年、42年前の記憶が蘇る。万博の年だった。
神戸新聞出版センター刊のこの上等なアルバムをさりげなくおいていってくれた人物は誰なのか。ゴルフ仲間のK先輩か、小学校同窓のN君か。いずれも考えられる線である。
親戚が小林一三さん時代から代々阪急系列に勤めて
いて、宝塚線で子供時代を育ちましたので想い出深いです。
そういえば、宝塚ファミリーランドにあった資料館は
閉鎖されましたね。 ブレーブスとファミリーランドが無くなり
阪神と合併とは・・想像すらなかった過去です。
小さな文房具屋さん(羽衣屋?)や角にあった夙川薬局が懐かしい
です。そういえば、その写真に写っている夙川書店は、グリーン
タウンに移って何十年もやっていましたが、昨年末くらいで閉鎖に
なったようです。