2017年2月12日(日)晴
とうとうお別れの日がやってきた。体温が下がり気味なので毛布や電気毛布を持ってきてほしいと病院から連絡があったのが、金曜日。取りあえずソファで使っている毛布と押し入れの奥から取り出した38年前に購入した電気毛布をテストして、新しいカバーを購入して持っていった。
土曜日の朝、容態が悪化との病院からの電話で駆け付けると一般病室からまた重度患者用のナースステーション隣の病室に移されていた。血圧も下がり、酸素吸入も開始。ここ二、三日がヤマになりそうですと看護師から告げられた。取りあえずそれぞれの家族に連絡し、近場の家族が駆け付けることができた。
そして今日、九時の休日開門とともに病室に訪ねると、見た目は変わりはないが呼吸が早くなっている。苦しそうではないがいよいよその時が近づいているのを直感した。心拍、呼吸、酸素濃度のモニターを付けるのは、一昨年年末に神戸の赤十字病院に腸閉塞で入院した時以来であるが、デジタル数値が下がっておりいよいよカウントダウンを覚悟する。10時半頃に兄貴が来たので、バトンタッチしていったん帰宅する。12時過ぎに「すぐ来てくれ」と兄貴からの切羽詰まった電話で病院に駆け付けると、心拍停止の寸前であった。涙が溢れ出てくる。
昨日に孫、ひ孫含め来られる家族全員顔を合わすことができたのは幸いだった。今日も日曜の昼過ぎという時間帯を選んだかのように、安らかに旅立った。本当に最期の最後まで気を遣って逝く時をはかってくれた気がする。市内に住む姪家族も最期を看取ってくれて中学生のひ孫と一緒に死化粧も施してくれた。
夕方には病院を引き払い予定していた葬儀場に移動する。明日からは葬儀の打ち合わせや処々の事務手続きとなるが、兄弟三人で協力してスムーズに送りたいものと思う。