かけ持ちの日曜日
2006年5月14日(日)晴
OB会兵庫西支部総会、神戸ジャズウォーク、母の日の三本建て。9時過ぎに家を出て阪急電車で三宮へ。電車で神戸に行くのはずいぶん久しぶりである。すっかり神戸は「ろくべえ」の庭になっていたからである。しかし、今日は支部総会もジャズウォークもアルコール抜きではあり得ないので、電車にする。
総会は予想していた以上でも以下でもなかった。記念講演も正直言って、それほどインパクトのあるものではなかった。憎めない感じの方ではあったが、話の中身があっちに行ったりこっちに行ったり、酔っぱらいの話を聞いている感じがしないでもない。要は、ミソ、豆腐、納豆のような大豆食品を毎日食べるとガン予防になり、免疫力を高めるためには笑うことがいいそうだ。それはよく理解できる。
総会及びその後の懇親会は予定通りきっかり2時に終了。産機時代の仲間が四人揃ったので旧交を温めることができ楽しい。但し、このようなOB会の支部全体会議の意義はなんだろうと考えると、わからなくなる。懐かしい仲間との懇親、あらたな交流のきっかけ、一人でできない趣味の実践の場作り。それが、現在のような支部の地区割りでやるのがベストかどうかは疑問もある。いろんなコミュニティに参加するのが楽しいが、このような世界もあるということでいいのであろう。
年かさのK藤さんが今日から地区役員になったのでおそらく、その後の予定もあったのだろう。今日のところは解散と言うことになったので、SHINちゃんから詳しい案内をもらっていたジャズウォークに行くことにする。二時半スタートの第二クールまで少し時間があったので、東急ハンズに寄り、母の日プレゼントを物色。目に留まったのが日傘。即決で91歳の実母と73歳の義母にそれぞれ柄を選ぶ。店員さんが相談に乗ってくれたので、それほど迷わず10分程で即決。
一安心して、まずはアルトサックス奏者の鈴木久美子さんを訪ねて、Goodmanという東急ハンズの筋向かいのライブハウスに行く。全くの初めての場所であったが、こじんまりしていて感じがいい。On a clear dayに始まり数曲聴くが、最後のボヘミアの夜とかなんとかいう曲が新鮮だった。
鈴木さんのプクンと膨らんだほっぺも相変わらず魅力的だ。ピアノの大石さんも美人ピアニスト。迫力は玲奈ちゃんに比べると弱いが、繊細な指遣いであった。ドラムの北村さん、ベースの井上さんは初めてだった。Goodmanの店内に架けてあったポスターの台詞が気に入った。それは、What is the life without love, whiskey & jazz.
終わるとすぐに北浪良佳ちゃんに移動。SHINちゃんとは入れ違いか。BesinStreetというライブハウスは、一昨年の神戸ジャズストでバリトンサックスを聴きに行った記憶がある。店内は満員。ドアの外から並ばされたが、今日の会場17ヶ所の中でも良佳ちゃんは一押し。絶対外せないとの信念で粘り、なんとか店内に侵入。だんだん前に行き、良佳ちゃんが乗ってきた頃は、膝で前に進み写真も撮る。ピアノの高橋さんは先週のボーカルクィーンコンテストの時も前半を担当していたし、ソネでも何度かお見かけしているベテラン。ドラムは竹田さん、ベースは鷲見さんといういずれも大阪、神戸でよくお見かけする顔ぶれ。
良佳ちゃんは、だんだん大物の雰囲気が出てきている。最後に歌ってくれたジャニーギターは特に良かった。シャンソンとしては若い頃から聴いているが、このジャズアレンジはラテンバージョンっぽくて本当に聴き惚れた。良佳ちゃんの表情も良かった。アンコールなしで終了。
慌てて家に戻り、まず隣のおふくろにプレゼントの傘を届け、むずかる裕子をなだめたり脅したりして、名神をぶっ飛ばして千里山へ。義母ともゆっくり食事をしながらお話もでじきて、一応母の日イベントもこなせた、と思う。
いやー、昼間からのジャズ三昧、いいもんでしたね。
こういう「試食会」みたいなイベントが毎月あったらいいですよね。
「神戸ジャズボーカル図鑑」ができそうです。
良佳さんの写真、帰ったら見させていただきますね。
良佳さんの曲って、毎ステージ変えてるんでしょうねえ。
わたしが聴いた曲名はわたしのホームページにアップしてます。
もし時間があれば比較してみてください。
良佳情報、ありがとうございました。
「良佳さんのことならファンド・マネージャーに聞けばわかる」ということで、これからもよろしくお願いします。
それから、英美ちゃんもグランプリのときの面白い逸話があります。
コンテストをたまたま直前に知って、二週間くらいでジャズの曲なんとか1曲覚えて出場しました。
ところがグランプリになったもんだから、その日の晩、大慌てで別の曲を覚え、日野さんのステージにでました。
・・・という、綱渡りのライブでした。
トレードの方は結婚前からやっていましたので歴史は長いのですが、本腰を入れだしたのは退職後です。ネットは96,7年頃でしたか、野村證券が始めた頃からやっています。すぐに松井に移り、岩井を経て今の楽天、イートレードと変遷してきました。確かに少し休憩の頃合いのようですね。