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これがミッチの"My Slow Life"

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イマドキシニアの光と影

Re:Obama's mother

2008年5月10日(土) 雨 4452歩

 一ヶ月ぶりの英語購読会に出る。先月はお花見会で短縮されたり、欠席になったりで4時間の長文コースは二ヶ月ぶりである。予習も不十分であったが、単語だけは調べておいたので、なんとかなるであろうとの気持ちで雨の中を出掛ける。

 今日のテーマは、アメリカの大統領候補のバラク・オバマ氏のお母さんの数奇な一生についての4月21日付TIME誌の記事。オバマサポート派の応援記事であることはタイトルからして明白。ただ、黒人のオバマ氏の育った家庭環境や彼の考え方や立ち振る舞いに大きな影響を与えたという母親、アンの生き様、人となりを知るというのは関心のあるところである。

 アンは、カンザスの中流白人家庭に1943年に生まれた。家具商人であったその父親が頻繁に米国内を移動したので、家族と一緒に転々としながら育つが、ハワイでようやく落ち着く。ハワイ大学に入学直後にケニアからの留学生であるバラク・オバマ、Sr.に出会い、まもなく今でいう「できちゃった婚」。

 1961年当時のアメリカでは異人種間の婚姻を認めていない州も半数あり、それが合法と認められていたハワイ州でも黒人と白人の異例であったらしい。アンは学業を中断することになるが、やがてオバマSr.はハーバード大学の奨学金を受け、東海岸に行くことになるが、アンはついて行かないことを選択し、離婚する。

 息子が2才になって大学に戻ったアンは、両親の援助も得て、幼いバラクJr.を育てながら、学士学位を取るべく勉強を再開するが、インドネシアからの留学生であるロロ・ソレトロ氏に巡り会い再婚する。そして、ソレトロ氏がインドネシアに戻るときに大学を諦め母子ともにジャカルタに移住する。

 オバマJr.はインドネシアに溶け込み、一家は貧しいながらも充実した日々を過ごす。ソレトロ氏が仕事に成功し、高級住宅街に引っ越し、パーティ三昧の生活になるが、アンはこれには退屈し、米国大使館で英語教師をしたり、朝早くからオバマJr.に英語を教えたり、イデオロギーにとらわれないリベラルな考え方や人種的な偏見を持たない教育をオバマと異父妹のマヤに教え込んだ。

 結局、オバマを先にハワイに戻したアンは、ソレトロ氏とは離婚してハワイに戻り、インドネシアに関する文化人類学(Anthropology)で、修士課程に復学し、フィールドワークのためにインドネシアや各国を行ったり来たりの生活になり、14才のオバマはハワイで祖父母の援助のもとに育ち成人してシカゴに移りコミュニティオーガナイザーとして活躍を始める。

 アンは、インドネシアやパキスタンを転々としながら研究活動と支援活動、特に貧困な女性に対する援助活動を行い、20年かかって博士号(Ph.D)を取得する。が、その3年後には、ガンには勝てず52才で生涯の幕を閉じた。

 バラク・オバマ氏についてというよりも母のアンに焦点を当てた記事である。もちろんバイアスのかかっている部分もあるのだろうが、これまでほとんど知らなかったオバマ氏の背景を少しは理解できたような気もする。
by yellowtail5a01 | 2008-05-10 23:59 | 外国語・教養 | Comments(0)