46年半ぶりに小学校の恩師と再会
朝一番に通院を済ませ、午後の予定に備える。ひょんなことで永らく音信不通になっていた小学校5年、6年の時の担任の先生の消息がわかり連絡も取れ、「会いましょう」ということになっていた。そのF先生は、5年の時に母校大社小学校に来られ、自分たちが最初の担任であった。当時はまだ26,7才で熱血先生だった。
クラスで文集を作って下さり、そのために常に作文や詩を書かされていたのをよく覚えている。自分の書いた文が、文集でカバーストーリーのように取り上げられたこともあり、それまで大嫌いだった作文が好きになったのは、まさにF先生のおかげである。上手くはないが、文を書くことに抵抗を感じなくさせていただいたのには、今でもありがたいと感謝している。
その延長に中学から大学時代の日記やパソコン時代になってからのパソコン日記、そして退職後のこのブログに繋がっているのだと思う。ほぼ半世紀ぶりの再会であったが、西宮北口の中央時計前で会ったときにすぐにお互い認識できた。
喫茶店を探してコーヒーを注文して、まず、昭和37年以降のお互いの歩んだ道を紹介し合い、長い時間の空白を埋めることができた。それが一段落して、持ってきた「坂道の子」という文集三部作と6年の時の卒業文集を広げて、当時のクラスメートの思い出を語り合う。
名前はほぼ全員記憶にあるが、顔が出てくるのは三分の二くらい。先生も記憶が飛び飛びになっているようだが、やはり何かイベントの会った子のことはよく覚えておられるようである。それにしても当時の文集を読み返すと46年の時をワープして、当時の情景が蘇ってくる。もし、文集がなければほとんど忘却の彼方に消えていたことであろう。
クラスメートの消息はほとんどわからないが、なんとかクラス会の開催に漕ぎ着けたいものである。当時仲のよかった友達と先生を囲んでワイワイできれば最高なのだが、果たして消息情報がどこまで集まるか、それが最大の問題である。